このブログ名「日々のあわ」は、大好きなハナレグミのアルバム名からいただきましたが、
最近、ボリス・ヴィアンの小説「L’ÉCUME DES JOURS」が「日々の泡」と訳されていることを知り、遅ればせながら読んでみました。
新潮文庫「日々の泡」曾根元吉訳 vs
光文社古典新訳文庫「うたかたの日々」野崎歓訳
日本文学を専攻していた私は「翻訳」とは無縁でしたが、訳者によってテイストがこうも違ってくるのかと驚きました。
ただ二つのものだけがある。どんな流儀でもいいが恋愛というもの、かわいい少女たちとの恋愛、それとニューオーリンズの、つまりデューク・エリントンの音楽。ほかのものは消え失せたっていい、醜いんだから。
曾根元吉訳 1970年
大切なことは二つだけ。どんな流儀であれ、綺麗な女の子相手の恋愛。そしてニューオーリンズの音楽、つまりデューク・エリントンの音楽。ほかのものは消えていい。なぜなら醜いから。
野崎歓訳 2011年
最初、曾根元吉訳がわかりづらくて、野崎歓訳を読んでみましたが、なんかそれぞれにそれぞれの良さがあって、外国の文学って、そんな楽しみ方があるんだわ〜と改めて思った次第です。
小説の内容は、かなりシュールで、現実にはあり得ない破天荒なもの。でもカッコよくて、おしゃれでした。
ボリス・ヴィアンもパリ郊外生まれ、ジャズトランペット奏者、シャンソンの作詞作曲、小説家などの肩書きを持ち、著者には「墓に唾をかけろ」「心臓抜き」など・・・興味湧いてきませんか?
2冊を読んだあと、どうしても映像が観たくなって、DVDを購入しました。
水道の蛇口から出るうなぎ、カクテルを作るカクテルピアノ、ジャン=ポール=サルトルをもじったジャン=ソール=パルトル、スケートリンクで圧死する観客、お金持ちの主人公の没落ぶり、心臓を取り出すハサミでの殺人。貧乏人用の葬式・・・
枚挙に遑がないほど、シュールです。
DVDは展開が早すぎるけど、本の内容を具現化してくれているので、「そんなアホな!」と突っ込みながら見てください。
でもフランスのお洒落さが素敵です。
という「日々のあわ」のサイト名についてのひとことでした。
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