捨てられない貯金通帳がある。約20年前に他界した、几帳面で真面目で優しかった夫の通帳。まるで日記のように、一緒に暮らし始めたあの頃を思い出させてくれた。
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結婚当初、専業主婦の私と5歳年下の夫は、シングルインカムで慎ましく暮らしていた。最初は夫から生活費を受け取っていたが、いつのまにか夫のキャッシュカードはちゃっかり私の財布に収まっていた。
夫にはお小遣いとして月々3万円を手渡し、かつ飲み会とか突発の出費にはその都度現金を渡していた。だから夫はお金のことに不満などないはずだった。
夫の死後、彼の身の回りのものを整理をしていたら、給与振込口座とは別の1冊の通帳を見つけた。
「もしかしてへそくり?」
「も、もしかして莫大な額が!」
少しだけヨコシマな感情を抱きながら、銀行のATMへ向かった。最後の記帳から闘病期間を含めると、およそ7年分の取引を記帳することになった。
そのうちジーコジーコという機械音が、後ろに並んでいる人の「早よせーや!」という舌打ちに聞こえてきた。実際、痺れを切らして隣の列に並び替えする人もいた。まさかこんなに時間がかかるなんて思っていなかったので、ATMに並ぶ後ろの人のことなど1ミリも考えていなかった。
実際の時間は10分程度だと思うが、体感的には30分から1時間くらいに感じた。
とはいえ一度記帳が始まってしまったら途中で終わらせることはできない。いったい何でそんなに謎の口座で取引していたのか、愛する亡夫に苛立ちさえ覚えた。
1冊分記帳したところでやっと機械は止まった。ほんとはその続きがあり、2冊目、3冊目と、最後の取引まで記帳したかったけど、背後に感じる殺意を無視できるほどの鋼のメンタルは持っていなかった。
家に帰って、ゆっくり通帳を見た。1000円から2万円まで、細かに引き出したり、入金したりしていた。たった1000円の入出金?意味がわからない。わざわざATMへ行かなくても、自分のお財布の中で完結させればいいではないか、と在りし日の夫に文句を言った。
入出金の頻度は、月1のこともあれば週5のときもある。
よくよく見れば、私の誕生日やクリスマス、結婚記念日など、イベントの前にその動きは顕著に現れていた。
私にプレゼントをしてくれるために、少ない小遣いの中からコツコツと別口座に貯めてくれていたのだ。今のように電子マネーなどない時代、ランチ代さえもなくなるほど、せっせと秘密の口座に預金していた。
最初は笑って眺めていたが、夫のバカみたいな几帳面さに涙がこぼれた。夫からのラブレター。ありがとう。私と出会ってくれてありがとう。短かったけど、しあわせだったよ。
この通帳は、そんな優しい想いで包んでくれた。
ちなみに数日後、人気もまばらな平日の午後、ゆっくりと記帳の続きをしようとATMに向かった。口座が凍結されたのか、「お取り扱いできません」と無情の表示にガックリ肩を落とした私だった。
(終わり)
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