昨年の春、息子は大学生になった。
図らずも自分の父親と同じ大学だ。
学部は違うけれど、唯一受かった大学が偶然同じだった。
「よかったね、お父さんと同じで」と、まわりに言われるたび複雑な表情を見せていた。
本当は東京の大学に行きたかったけれど、浪人せずに現実を受け入れていた。
社内恋愛の末結婚した私は、もちろん大学生だった頃の夫を知らない。
彼もまた息子と同じように東京の大学を第一志望としていたけれど、一浪しても桜が散りまくり、唯一受かった大学に入学した。
入社後の自己紹介で「産社(産業社会学部)」と言わず、「社学(社会学部)」と、自分の行きたかった大学の学部名を冠して自己紹介していたほど、どうでもいい、分かりづらい見栄を張っていた。
5歳年下の彼とは同じ部署で、姉と弟のような関係だったが、ほどなくして私は彼のおかげでめでたく寿退社となった。
しかし、2004年6月、あっけなく彼はこの世を去った。
息子の入学式の写真をアップしたSNSには「父親そっくりや」「生き写しじゃな」と、「いいね」の数も自己最高を記録した(と言っても20数件)。
それから半年後、軽音サークルに入った息子からバンドのデビュー演奏会に招待された。
演奏時間はたった10分の予定だったが、有給休暇を取って岡山から京都まで車を走らせた。
「授業参観か!」と娘に冷やかされながらも、なんとなく大学に入ってみたかった。
入学式は別の大きな会場だったため、大学の構内に入るのはこれが初めてのチャンスだった。
正門をくぐり、会場を探しながら歩いていると、だんだん心臓がどきどきしてきた。
持病の高血圧のせい?と心配になった。
ゆっくり深呼吸してみる。
何回も深呼吸していくうちに、なぜか涙が出てきた。
・・・夫がいる。
彼の気配がじわじわと沁みていた。
初めて来た場所で彼と出会えた。
13年ぶりに彼を思い泣いている。
彼の名前を小さく呟き、まわりの学生に気づかれないように泣きながら切ない思いに包まれていた。
やっとたどり着いた会場の受付で息子を見つけた。
父親と同じ顔の息子は、母の熱い想いなどつゆ知らず、ニコニコと来場者に応対している。
そのマヌケ面がおかしくて、
また、泣いた。
泣きすぎて瞼が腫れ上がり、すっかり化粧も取れてしまった私は、受付で他人のふりをしてあげた。
(終わり)
2018年3月10日 A.Y氏課題「私の好きな〇〇(場所)の話」講評
ぐっとTさんの世界に入って、ゆっくりじっくりと読ませていただきました。書かれている風景と、あえて書かなかった心情みたいなものが、クロスオーバーして私の目がうるみました。ありがとうございます。抑制の効いた文体と、ところどころににじむユーモア感覚が書き手としてのTさんの味になるような気がします。いろいろなご経験をされてきたからこそ感じたり見えたりするものが多くあることでしょう。フリーのライターとして、どんなことを伝えていきたいのかが見えてきたら、書くことへの準備は既にできているのではと思いました。
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